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  • 2018.04.21 Saturday

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    「みんなで作ろう♪タオル帽子」のご案内

    • 2016.02.13 Saturday
    • 23:50
    「セーターと母と仲間と」連載の途中ではありますが、
    帽子の泉プロジェクト主催の素敵な行事のお知らせを
    お届けさせていただきますハート

    双葉 双葉 双葉 双葉 双葉

    「みんなで作ろう♪タオル帽子」
       
    ハート制作講習&協力会ハート  



    月 日:2016年3月11日(金)
    時 間:午後1時30分〜4時30分(受付:1時15分〜)
    場 所:ウィルあいち(愛知県女性総合センター) 2F 創作スタジオ
    講 師:糸井 以久子氏
    参加費:無料
    持ち物:材料・道具は主催者側で用意します。
    定 員:30名

    heart heart heart

    「タオル帽子」は、抗がん剤治療の副作用に悩む患者さんのために
    岩手ホスピスの会で考案され、広がりました。

    簡単に洗えて肌触りの良いタオル帽子は、季節を通して使いやすく、
    髪の毛が抜けても枕などにつかないため、寝具の汚れも軽減できるそうです。

    「作ろう会」では、脳卒中障害者の会ドリームで
    miko-mikuのボランティア先輩として活躍中の
    糸井以久子さんを講師にお招きし、
    みんなでタオルをチクチク縫って作ります。

    糸井以久子さん

    糸井さんは、名古屋大学付属病院、マクドナルドハウスでも
    ボランティアとして活躍。
    仲間の皆さんと、入院中の子どもさん達にも
    タオル帽子をプレゼントして、たいへん喜ばれています。
         Docomo_hart
    みなさんに当日お作りいただいた帽子は、
    帽子の泉プロジェクトのアメリカの支援者、
    ナンシー・ベリーさんが運営する
    がん患者さんのための支援基金
    「Angie's Spa」に寄贈させていただきます。
        Docomo_hart Docomo_hart
    ナンシーさんは、同じく支援者のジェイミーさんと
    2014年に東日本大震災の被災地、宮城県名取市を
    帽子の泉プロジェクトメンバーと共に訪問し、
    宮城県支援学校の生徒さんや、社会福祉法人「みのり会」の皆さんと
    交流しました。
        Docomo_hart Docomo_hart Docomo_hart
    今回のタオル帽子を作る活動には、
    2012年に帽子の泉プロジェクトメンバーが出会い、
    以来交流を深めている名取の皆さんも
    現地で帽子作りご協力を申し出てくださっています!
       Docomo_hart Docomo_hart Docomo_hart Docomo_hart
    震災という未曾有の出来事がきっかけで始まった交流ですが、
    アメリカから贈られた手編みの毛糸の帽子が、
    名取とアメリカと名古屋を結び、
    コミュニケーション支援の活動からご縁のできた
    ドリームの糸井さんからご紹介いただいた
    岩手ホスピス協会のタオル帽子につながり、

       Docomo_hart Docomo_hart Docomo_hart Docomo_hart Docomo_hart

    今度は、アメリカのがん患者さんにお届けする帽子を
    名古屋と名取で作る機会を得ることとなりました。

       heart heart heart

    「作ろう会」当日は、制作時間に余裕を持っておりますので、
    ご自身のお持ち帰り用もお作りいただけます。
    お近くに帽子を必要とされる方がいらしたら、
    きっと喜ばれるでしょう。

    ※お持ち帰り用をご希望の方は材料のフェイスタオルをご持参ください。

    「作ろう会」の詳細とお申し込みは
           
    帽子の泉プロジェクトHPをご覧ください♪

    みなさまのご参加を心よりお待ち申し上げます!

    ご一緒しましょ!
     

    セーターと母と仲間と (7) 夜更けの出前

    • 2016.02.11 Thursday
    • 22:07
    「お父さんやるねー」と
    ひとしきり二人で小さな声で笑い合った後、

    母が話し出しました。

    「お父さん、昨日の夜、ずいぶん遅くに来てね。」

    「え、昨日? 病院来たの、お父さん。帰って来るのとっても遅かったよ。
    『仕事で会合あるから今日は病院寄れない』って昨日の朝言ってて、
     今朝も何も言わないから…。
     じゃあ、miko-mikuが帰った後に、お父さん来たんだ。」

    「11時過ぎだったかな。」

    「えー。見つかったら怒られちゃうね。お母さん起きてたの。」

    「うん。」

    少しの静寂。

    そうだよね。なかなか眠れないよね…。

    母の短い頷きに、
    口に出しては何も言わないけれど、
    きっといろいろ想うことがあるのだと
    胸がつまってしまうmiko-mikuでした。


    黙っていると涙が出そうになってしまうので、
    早く何か言わなくちゃ。


    「急ぎの用事だったのかな。」

    「ううん、会合の帰りだって、ちょっと酔っ払ってたわ。」

    「ええー。夜中に酔って病院はまずいよねー。」

    「カーテンのところから『よっ』って片手挙げてね。」

    「想像できる。」

    「『お寿司の折を作ってもらったから』って、
      そこの台のところに置いて、」

    「うん。」

    「『じゃ』って帰っちゃった。」

    そう言って微笑んだ母はうれしそうで、
    miko-mikuも一緒に笑ったけど、
    だけど、とっても切なくて、

    いけない、涙が決壊寸前。
    miko-mikuおどけて言いました。


    「出前だ。深夜の出前。お父さん、いいとこあるじゃない。
     でも、miko-mikuには何にも言わないんだもんなー。」

    「そう。じゃ、秘密だったんだ。」

    母、またうれしそう。

    このまま。ずっとこのまま…。お願いします。

    黙っているmiko-mikuを察したのか、母の方が話題を変えました。

    母:そういえば、セーター編むの、どうした?

    (続きます)
     

    セーターと母と仲間と (6)語らい

    • 2016.02.09 Tuesday
    • 23:50
    ネコ アレサ:ママ、お母さんが「やめないで続けて」と言ったお稽古事はなんだった?
    kyu miko-miku:フルート。
    にやりネコ ペコ:あー、あのなかなか上達しにゃかったフルートか〜。。
    kyu miko-miku:はい。魔のお告げを受けたのは病院に行く途中だったか、帰りだったか。
             まったくあんな、
    ニコ yucom:miko-mikuさん、先に進みましょう。
    kyu miko-miku:お〜yucomさん、久しぶりの登場
    ニコ yucom:気をつけて。連載の回を追うごとにまた長くなってます。
    kyu miko-miku : 鋭いご指摘ーー’。進みます。

    heart heart heart 

    病院へ行くのと同じ路線の電車で授かったお告げ涙
    車内で大層バツの悪い思いをしたけど、
    母を笑わせるのには効果満点でしたピース

    miko-miku:ひどいよね、まったく。プンプン。

    母 : ほんとにそんな事が世の中にあるのね〜。

    母は可笑しくてたまらない様子です。
    miko-mikuも俄然嬉しくなります。もっと言っちゃお。 


    miko-miku:この前ね〜、お父さん、面白かった。

    母 : ? 。

    miko-miku:ちり紙交換に出すのに新聞をしばってまとめてあったんだけど、
          いつも回って来るの午後でしょ。
          だから玄関の内側に置いておいて、お父さんもmiko-mikuも上にいたの。
          そうしたら「毎度おなじみの〜」っていつもより早く来ちゃってね。

    母 :あら。

    miko-miku:お父さんが急いで窓のところに行ったんだけど、
          もう通りすぎるところだったみたいで、降りて行くの
          間に合わなくて。

    母、どうなったのか興味津々です。「お父さん、どうしたの。」

    miko-miku:呼ぶかな〜って思ったんだけど。「すみませーん」って。
          
    母 :うん。

    miko-miku:お父さんね、窓際で、ポン、ポンって手を叩いた。

    母 : ……。

    意外性ってインパクト大です。お隣におばあさんがいるから小さい
    声だけど、母、思わず吹き出しました。


    母 :それで、車、止まったの?

    miko-miku:止まらないよ。旅館で仲居さん呼ぶんじゃあるまいし、
          上からポン、ポンってやったって止まらないよ。
          そのまま「ご不要の新聞、雑誌〜」って言いながら行っちゃった。
          
    母 :そしたら? お父さん、どうした?

    miko-miku:しばらくそこに佇んでた。ちょっと寂しそうだったな、ムヒヒ。
          でもmiko-mikuが見てるのに気がついたら、なんでも
          なかったフリして奥の部屋に行っちゃった。

    母 :いやだ、もう。お父さん、かわいそうじゃない。
       あなたが呼んであげればよかったのに。

    miko-miku:だって、お父さんが先に窓のところに行ったからね。
          まさか、ポン、ポンってやると思わなかったから。

    また二人で声を殺して笑いました。
    こうなるとmiko-miku益々張り切っちゃう。

    すると今度は母の方から話し出しました。


    (続きます)
     

    セーターと母と仲間と (5)想い

    • 2016.02.07 Sunday
    • 23:50
    「がんです」と具体的な病名の告知を受けていなくても、
    母は多分すべてわかっていたと思います。

    病院の先生のお話は父が1人で聞いていました。
    余命についての告知のことも多分あったでしょう。

    miko-mikuは、何かとてもたいへんな事が起こっていることは重々わかっていましたが、
    でも、たとえ何かを聞いたとしても、自分がその事に対して何かできるわけではない。
    大学病院への入院は、どなたかの紹介で、配慮をもってなされたことでした。
    今のようにインターネットで気軽に病気の知識を得られる時代ではなく、
    セカンドオピニオンという言葉もありませんでした。

    医療はその時ベストと思われる治療をしていただいている。

    自分のやるべきことは、母が言う通り、

    仕事もやめずに、お稽古事もなるべく休まず通い、

    なかなか病院の食事が進まない母に、
    少しでも何か食べられそうなものを作って持って行くこと。

    いつもmiko-mikuが、
    「今日はね、こんな事があって、あんな事があって」と夢中で話すのを、
    可笑しそうに笑って聞いてくれていた母に、
    今こそもっともっと笑ってもらいたい。
    少しでも辛いのが和らいでほしい。

    とにかくいつもどおりに。普段どおりに。
    20代前半の精神的な修養もないまったくの子どもでした。
    目の前の、自分にできることだけに専心してやっていれば
    このまま母との時間はきっと続く。
    信じて疑わないmiko-mikuでした。

    * * * * *

    でも、母は明らかに調子が悪くなっていっていました。

    ある日、父と二人で居間にいる時でした。
    父は新聞を読んでいて、miko-mikuは雑誌を見ていました。

    父が言いました。

    「お母さんな、難しい状況みたいだ。」

    miko-mikuは父の方を見ることができませんでした。
    顔を上げて父を見たら、泣いてしまうと思いました。

    一番たいへんなのはお母さんだから、

    miko-mikuは絶対泣いてはいけない。

    そう自分に誓ってずっと我慢してたけど、
    絶対信じたくなかったけど、

    どこかではわかってた。 

    * * * * *

    すぐには返事ができませんでした。
    でも、一瞬不意に思えたけど、
    お父さんはmiko-mikuに伝える時期をずっと考えていてくれたはず。

    「うん」

    雑誌に目を落としたまま、小さくそれだけ答えました。

    言ったら涙が湧いてきて、ぽたっと雑誌に落ちました。

    「お母さんには言ってないから」

    下を向いたままで、また涙がぽたぽた。

    「うん」

    miko-mikuは単純。バカ。
    その時、突然すごいパワーがうねりのように湧いてきました。

    そうかもしれないけど。
    でも、大丈夫。

    お母さんはmiko-mikuが守る。

    何も変わらない。

    明日もいつもどおり
    お母さんとこ、行こ。

    気がついたら涙は止まっていました。

    * * * * *

    その時父と交わした言葉はそれだけでした。

    父はまた新聞をめくり始め、
    miko-mikuは雑誌を読もうと思ったけど、
    ページも顔も泣いた後でぐしゃぐしゃで、
    何がなんだかわからなくなったら

    なんだか可笑しくなってしまった夜でした。

     

    セーターと母と仲間と (4)微笑み

    • 2016.02.05 Friday
    • 23:50
    miko-mikuの母が秋から入院していた大学病院は、
    都心から少し離れた私鉄の沿線にありました。

    昼間は大勢の外来の患者さんで病院のロビーはとても混雑していましたが、
    入院棟の夜の入口は、miko-mikuが行く時間にはもうすれ違う人もまばらで、
    病室が並ぶ廊下もしんとしてとても静かでした。

    クローバー クローバー クローバー
     
    トントン。
    病室のドアを小さくノックしてそっと入ります。
      
    1980年代の初めは、芸能人や会社の社長さんなど、
    個室を使う人はごく限られた一部の人で、母も最初は4人部屋に入りましたが、
    容体があまり良くなくなって家族や親戚など付き沿う人が増えたので、
    まもなく2人部屋に移ったのでした。

     クローバー

    母のベッドは奥の窓側で、廊下側のベッドにいた方は
    とても品の良いおだやかなおばあさんでした。
    当時、弟は家を離れていて、父もmiko-mikuも仕事で
    平日はどうしても病院に着くのが遅くなるので、
    病室の出入りや、小声でも母との話し声でご迷惑をかけてしまいます。

    仕切りのカーテンは少し開いていることが多かったので、
    奥へ進む時にお詫びがてら会釈すると、優しく微笑んで返してくれる方でした。
    「いつも遅い時間にすみません」と言うと、
    お話しはされませんでしたが、また微笑んで軽く頷いてくださいました。
    本当にありがたく思いました。

      クローバー 

    おばあさんのところには時々中年の男性が訪ねて来られていました。
    息子さんのようでした。
    ある日、父から、多分息子さんと思われるその男の人が元プロ野球のS選手だと
    教えられました。往年の名選手とのことでしたが、miko-mikuはわからず、
    でも、ベッドのおばあさんと同じく、その男性もとてももの静かな落ち着いた感じの方でした。
    顔を合わせると、挨拶するはるか若年のmiko-mikuにも必ず軽く会釈を返してくれました。

    クローバー クローバー クローバー

    おばあさんのベッドとの間は仕切りのカーテンがあり、母の片側は窓なので、
    病室の奥ということもあり、母はいつもカーテンをせず、
    高層階の病室の大きな窓からは、昼は少し下町風の、
    夜はそれほど華やかではないいくつかのビルの明かりが見えました。
     
     クローバー

    miko-miku:来たよー。
     
    母は静かに微笑んでいます。
    「調子はどう?」とは聞けませんでした。
    病気がとても早く進行していて、
    強い治療で体力も消耗して、
    とても辛そうだったからです。

    まだ病名の告知を患者本人にするなど考えられない時代でした。

    (続きます)
     

    セーターと母と仲間と (3)次の担当

    • 2016.02.03 Wednesday
    • 11:53

    ネコ(アレサ):ママ、今度は記事があまりに細切れで、よくわからないんだけどー。
    にやりネコ(ペコ) :にゃが(長)過ぎか短か過ぎの両極端にゃにゃ。
    kyu miko-miku:すみません。なにぶん「中庸」が苦手でーー’。
            しばらくこのスタイルで続けます^^/

    双葉 双葉 双葉

    ヤブさんは、あきれ顔ながらも最初のセリフ担当を引き受けてくれました♪

    双葉 双葉 双葉

    そうしたらと…、次のセリフはヤブさんの隣の席のキヨ…

    キヨ…

    !!!

    も〜、キヨコさんたら〜  ヾ(>▽<)ゞ

    矢印 矢印 矢印

    キヨコさん、miko-mikuがお願いするまでもなく、すでに瞳がキラキラですきらきら 

    キヨコさん: 私は何と言えばいいのかしら。うふ

    miko-miku: も〜、キヨコさん、ナイスです〜。あのね、言っていただきたいのはこれ。
          miko-miku登場します。で、ヤブさんが「わー、素敵なセーター。どこで買ったの?」
          「実は自分で編んだんですよ〜」 で、これを。

    キヨコさん: <えー。手編みなの?! 信じられなーい。>

    miko-mikuうっとり ゆう★ キヨコさん、もう一回お願いします〜。

    キヨコさん: <えー。手編みなの?! 信じられないわー。とっても素敵よ>

    さすが、キヨコさん。元舞台女優。渡されたセリフをただ言うだけではありません!
    普段話される言葉も、とても美しく優雅です。

    双葉 双葉 双葉

    ヤブさん: それにしても、忙しいのによくセーター編めたね。

    キヨコさん:ほんとに。お母様のところ、毎日行ってらっしゃるんでしょう。

    miko-miku:あ、はい。会社から病院がもう少し近いといいんですけど…。

    キヨコさん:お母様、きっとあなたが来てくださるの、楽しみに待ってらっしゃると思うわ。
          たいへんだと思うけど、がんばってね。

    miko-miku:ありがとうございます! 今日も夜、行って、
          母に編み方を教えてもらおうと思ってピース

    ヤブさん&キヨコさん:えっ?!
     
    ヤブさん:セーターできてるんじゃないの?

    miko-miku:いえ、これから編みます。この本のね、これ
          白のモヘアでふわふわしてて可愛いなあと思ってちゅん
          毛糸も買って来ました^^v。
          体、大きいので、書いてあるのより1玉余分に買いました。

    キヨコさん: …。 あ、でも何度も編まれてるんだ。慣れてらっしゃるのよね。

    miko-miku:いえ、編み物初挑戦なんです〜。むふ〜

    ヤブさん&キヨコさん: ……。 

    ヤブさん:親睦会、来週の土曜日でしょ。完成するかな、10日ちょっとで。

    miko-miku:大丈夫だと思いますピース 持って歩いて、ちょこちょこやりますよー。

    キヨコさん:うーん、でも相当頑張らないと、ちょっと厳しいんじゃないかしら。
          特に今いろいろお忙しいんだから、無理して今編まなくてもいいんじゃない?
          いろいろ素敵なお洋服持ってらっしゃるでしょ。

    思いやりのある優しい説得です。ところがmiko-mikuにはこれが通じません(;;)。

    miko-miku:大丈夫です。もう編むって決めたのでピースピース

    ヤブさん:ハァー。じゃ、頑張ってね。僕もセリフちゃんと覚えておくから。
         当日セリフが言えるように頑張って完成させてね。

    miko-miku:はいっ! がんばりまーす^^/

    ヤブさん:それにしてもmiko-mikuさん、まずセリフの振り分けからって、
         順序が違うんじゃ、あー、行っちゃった。


    双葉 双葉 双葉

    ずっと残業続きでしたが、miko-miku、早めに切り上げて、
    毛糸と本と編み棒を抱えて会社を出て、駆け出しました。
    急ごー。お母さんのところ。

    (続きます)

     

    セーターと母と仲間と (2)担当

    • 2016.02.02 Tuesday
    • 16:23

    編み物の経験もないのに、
    イメージ先行と妄想のみを推進力に

    手編みのセーターでみなさんの賞賛を得る!ピース

    ことを思いついたmiko-miku kyu

    さっそく職場で向かいの席のヤブさんにお願いをしました♪

    双葉 双葉 双葉

    ネコ アレサ:ところで、ママ、前回の記事はいつになく短かったわね。よろしい。

    miko-miku:はい。読んでくださっている方からまた(=複数)
          「ブログ長いね〜」と言われまして (-_-)。


    にやりネコ ペコ:ホントにいつもにゃがいです。

    miko-miku:でも、連載で投稿することになっただけで、
          結局一つのタイトルとしてはやっぱり長くなりそうで、
    デヘ^^'

    ネコにやりネコ早く先に進んでください。

    双葉 双葉 双葉

    miko-miku:ヤブさん、はい、これ。ご協力よろしくお願いします

    ヤブさん:何? 書類?

    miko-miku:セリフです♪ 言ってみて^^。

    ヤブさん:…。<わあ、素敵なセーター、どこで買ったの?>
         … ???。

    miko-miku:ヤブさん、私ね、今度の親睦日帰り旅行に手編みのセーターを着て行きますから♪

    ヤブさん:それはそれは。いいんじゃない。それで。

    miko-miku:朝、集合場所で私を見たら、みんなに聞こえるようにこのセリフを言ってください。

    ヤブさん:…。…。え”ーーー。

    miko-miku:大丈夫です! ヤブさんが言ってくれたら、
          私が「自分で編んだんです〜」と言いますから、

    ヤブさん:…。こういう事頼まれるの、生まれて初めてなんだけど…。う〜。

    ちょっと驚いていたけれど、でもさすがヤブさんです!
    あきれ顔ながら、最後は「でも、面白そう」と、協力してくれることになりました^^v。

    heart heart heart

    当時miko-mikuは子どもの英語教育の事業を持つ会社で働いていたのですが、
    所属したところは教材制作や指導法のメソッドを研究する部署で、
    ユニークな人が多くてとても面白かったです。

    miko-miku:出だしのセリフだから大切なの。
          ヤブさん、しっかり練習して来てくださいね。

    ヤブさん:はいはい。わあ、素敵なセーター、どこで買ったの?

    miko-miku:シーッ。今は言わなくていいです。それから次のセリフは…

    (続きます)
     

    セーターと母と仲間と(1)手編み宣言!

    • 2016.01.31 Sunday
    • 23:50
    比較的暖かい日が続いていた今季ですが、
    先週は何十年ぶりと言われる寒さが突然やって来て
    びっくりしましたね 雪

    それでも、昔ほど 寒い〜 ゆう★ と感じなくなったのは、
    温暖化の影響なのか、
    いえ、miko-mikuの脂肪がたっぷりになって来たせいか…ーー’。
    (只今とてもマズイ状況です)。

    昔は空調もそんなに整っていなくて、
    やっぱり冬は今よりもずいぶん寒かった記憶があります。
    フリースのような新素材もなかったし、
    毛糸のセーターをよく着ていました。

    heart heart heart heart heart

    毛糸と言えば、手編み。
    miko-mikuの学生時代は、手編みが大流行。
    上手にマフラーや手袋を編める人はみんなの人気者きらきらでした。

    仕事を始めてからも手編みへの憧れはとどまるところを知らず、

    ある日、
    よし!今度の職場の親睦日帰り旅行に
    手編みのセーターを着て行くぞ!と決意しました。

    編み物習ったことないのに…

    日帰り旅行もうすぐなのに……。

    なぜかいつも物事の順番がおかしいmiko-miku。


    真っ白なモヘヤ毛糸の手編みのセーター手

    素敵 ちゅん

    みんなもきっと驚くぞ〜。
    「miko-mikuさん、すごい!編み物できるんだ」
    得意の妄想で既にとっても満ち足りた気分です。

    早速準備に取り掛かりました。

    職場で朝一番、向かいの席のヤブさんにリクエストです

    (続きます)

     

    「少しずつでも」

    • 2016.01.26 Tuesday
    • 22:12

    旧暦の新年(2月8日♪)向けかというようなタイミングのご挨拶になってしまいましたが

    きらきらみなさま、新年おめでとうございます!きらきら

    今年も
    障がいのある方のコミュニケーション支援の活動や、
    被災地応援・交流活動「帽子の泉プロジェクト」のことや、
    歌『あなたを想えば』のこと
       (YouTubeの再生回数が400回を超えました!
        有坂ちあきさん、ご協力ありがとうございます♪
                みなさま、ご視聴ありがとうございます♪
        今年もよろしくお願いします!)や
    日々の生活で出会った素敵な人々、不思議な出来事について

    また、そこから学んだり感じたりしたことを

    このブログでみなさまと共有していけたらとても嬉しいです。

    早速ですが、何日か前の新聞の記事でとても心に残るメッセージがありましたので、
    ご紹介させていただきます。

    双葉 双葉 双葉 双葉 双葉 双葉

    名古屋の地元有力日刊紙「中日新聞」の今月22日夕刊「目耳録」という小さなコラムに
    「少しずつでも」というタイトルで、名古屋を拠点とする少年少女合唱団「地球組」の
    代表の方のメッセージが紹介されていました。

    「障害のある子、外国籍の子も一緒に活動する」という合唱団の16年目のコンサートが
    昨年末に名古屋市内で行われたそうで、「全員でつくり上げる舞台はにぎやかで温かだった」
    という取材記者の感想が書かれていました。

    miko-mikuは、この新聞記事で初めて地球組のことを知りました。
    特に印象に残ったのは、代表の方の次の言葉です。

    コンサート後のアンケートに「全然楽しそうじゃない子がいた。嫌なら出なくても」との声があったそうです。
    「でもね」と。
    一見楽しそうに見えない自閉症の子も、練習や舞台の日には、朝から自分でかばんを用意して率先して出掛けたり、舞台で歌わない子も帰宅後にその曲をずっと歌っていたり。
    「表に出していないだけで楽しくないわけじゃないんです」と。

    双葉 双葉 双葉 双葉 双葉 双葉

    折しも、通訳の仕事の関係で、miko-mikuは、高校の教科書に載っている思想家・評論家の故吉本隆明氏の『文学の芸術的価値』(講演録『日本語のゆくえ』より)という文章を読む機会を得ました。

    この文章の中で、吉本隆明氏は、「直接的あるいは純粋に芸術の価値の根幹をなしているのは自己表出である。これはコミュニケーションではなく内的発語というべきで、それが芸術的価値をつくっている。」と述べています。

    言葉にあらわれなければ人には聞こえないけれど、つまり言語のコミュニケーションとしてはゼロに等しいけれども、自分が内心で問うている。その「自己表出」が大事なのだと。
    文章は「音楽であれ文学であれ絵画であれ、自分が自分に発する問いが声になるかならないかは重要ではない。重要なのはそうした自己表出がどれだけ豊かかということです。」と結ばれています。

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    時を同じくして、新聞の記事と教科書から、共通のメッセージを受け取って、
    miko-miku うれしい^^ 手

    私たちは日々の暮らしの中で、つい目に見えるもの、言葉として聞こえるものなど、外に出てくるわかりやすい表現の部分に心を捉われがちで、それがわかりにくいこと、自分の知らない表現の方法だったりすると、元から存在しないものとして扉を閉じてしまうことがあります。
    でもブログの最初の頃の記事「始まり」に書いた通り、無いと思ったら多分そこで終わりですが、有ると信じていたら見えてくるものがあると思うのです。

    みんな「想い」を持っています。

    heart heart heart heart heart

    「地球組」のホームページを見てみたら次のような紹介文が載っていました。勝手ながら抜粋でご紹介させていただきます。

    「私たち地球組は、学校の違いや障害、言葉の壁など全ての垣根を越えた友情と平和のハーモニーを創ることを目的としています。

    名古屋市内及び近郊の小学生から大人までが参加して歌の練習をしています。歌の上手な子、苦手な子、大きな声の子、声が出せない子、身体に障害のある子、知恵に障害のある子、国籍の違う子、勉強の優秀な子、勉強が苦手な子、音楽が得意な子、音程を理解できない子・・・

     さまざまな環境に生きる子どもたち、そして大人たちの仲間です。私たちはボランティアや福祉ではありません。恵まれない子のために手を差し伸べる目的ではありません。手を携えあい、共に生きる、ただの地球の仲間たちです。」

    heart heart heart heart heart

    前述の新聞記事の終わりに、地球組の代表の方は、続けていく大切さを痛感したと述べられています。
    そして「会場に来てくれることで知ってもらえたら。少しずつでも、ですね」と。

    コミュニケーション支援や、宮城県名取市やアメリカの仲間との帽子の泉プロジェクトの活動も、本当に多くの方のご支援・ご協力のおかげで、まさに涸れることなく湧き出づる泉のごとく、温かい人と人の出会いや学びの機会が広がり、深まって行っています。

    これからも、少しずつ、一歩ずつ、みなさんと共に歩んでいけたらうれしいです。

    少年少女合唱団地球組の次回の公演に是非行ってみたいと思います♪

    ご一緒しましょ!
     

    二つの祖国

    • 2015.12.31 Thursday
    • 23:30
    2015年も残りわずかとなりました。
    戦後70年の今年の最後の投稿として、あるインドネシアの家族をご紹介したいと思います。

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    年の瀬も押し迫った12月29日、帽子の泉プロジェクト主催「有坂ちあきライブin名古屋Vol.2」でMCを務めてくれたインドネシア人留学生のプリちゃんが、来日したお父さんと妹さんと一緒にお正月を関西で過ごす途中に名古屋に寄ってくれたので、一緒にお昼を食べました。

    プリちゃんのお父さんとはmiko-mikuは電話やSNSで連絡を取り合っていますが、会うのは10年ぶり。14才の妹のプルちゃんとは初めてです。

    和食がいいということで、それぞれ天ぷらやカキフライなど。妹のプルちゃんはお刺身定食をリクエスト♪ 
    とっても美味しそうに食べる姿を見て、miko-miku 聞いてみました。

    miko-miku:プルちゃん、お刺身好きですか。
    プルちゃん:大好き。
    miko-miku:初めて食べた時から生のお魚大丈夫だったの。
    プルちゃん:うん、全然平気でした。
    お父さん :やっぱり日本人の血だなあ。
    プリちゃん&miko-miku:ほんとだね。日本人の血を受け継いでいるよね〜。

    そうなんです。プリちゃんとプルちゃんは8分の1日本人。お父さんはクォーターです。プリちゃんのひいお祖父さんが日本人なのです。

    miko-miku:あれからもう14年経つんですね。
    お父さん :はい。まだプリは今のプルより小さくて。母(プリちゃんのお祖母さん)はもう亡くなっていません。
          でも、今、プリは日本で勉強をしていて、私はmiko-mikuさんをお姉さんと呼んで家族でお付き合いが続いている。
    miko-miku:本当に不思議なご縁ですね。

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    2000年の夏、miko-mikuはかねてよりインドネシアの歴史や文化についていろいろ指導を受けてお世話になっていた東京在住のK氏からある依頼を受けました。
    「私の縁のあるインドネシア人の親族が名古屋にいるらしいのです。消息を調べていただけませんか。」
    「ご親族というのはインドネシアの方ですか。」
    「いえ、日本人です。」

    長年インドネシアとの友好に貢献してきたK氏は、その年の4月にインドネシアの関係者から、政府機関に勤務するある男性が日本人である祖父(男性の母の父)の一族を探していると聞き、捜索に協力することになりました。

    この捜索依頼をした男性がプリちゃんのお父さんでした。

    K氏が詳しく話を聞いてみると、それは見ず知らずの単なる日イ友好のお手伝いではありませんでした。
    偶然にもK氏が第二次世界大戦中、インドネシア・スマトラ島の北部に駐屯していた部隊に所属していたその町で、K氏はプリちゃんのお父さんのお母さん(当時はもちろん子どもです)であるター子ちゃんに会っていたのです。

    K氏は早速、元同じ部隊で戦後もずっと親しくしていたH氏に連絡を取りました。

    K氏:
    「スマトラ時代のター子ちゃんを覚えていますか。」
    H氏:
    「もちろんです。一年間同じ宿舎に住んでいて、今もター子ちゃんの写真を持っていますよ。早速コピー送りましょう。ター子ちゃんの居場所がわかったのですか。」
    K氏:「インドネシアで元気に暮らしているそうですよ。」

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    ター子ちゃんは商業民間人としてインドネシアに在住していた日本人のお父さんとインドネシア人のお母さんの間に生まれました。
    開戦と同時にお父さんはオランダ軍に拘束連行され、行方不明になってしまいました。
    ター子ちゃんとお母さんは、H氏が所属する部隊の隊長宿舎の裏庭の隅に住んでいて、お母さんは宿舎の炊事、洗濯、掃除等をして生活をしていたそうです。当時7才のター子ちゃんはH氏達に日本語で話しかけたり、一緒に日本の歌を歌ったりする利発で可愛い女の子だったそうです。

    連行されてしまったお父さんの行方は知れず、終戦直後は現地の人とH氏達の部隊との間で争いもあったり、治安が日に日に悪化していきました。同地を去った後も、H氏達はター子ちゃんとお母さんの事が気にかかっていたそうです。
    インドネシアの側から消息調査を依頼された事が、まさか自分達が折にふれ思い出していたター子ちゃんの消息に50数年ぶりにつながるとは…。H氏、K氏は感無量だったそうです。

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    K氏は、インドネシアの駐屯地にいる間も、週1回の休日には町の人々と接したり、小学校を慰問して歌を教えたりしていたそうです。その当時から培われたインドネシア語力を活かして、ター子ちゃんの息子であるプリちゃんのお父さんとのその後のやり取りはK氏が担当されました。

    K氏からH氏が所蔵していた母親(ター子ちゃん)の写真を航空便で受け取ったプリちゃんのお父さんからはすぐにお礼と捜索に至った経由が書かれた手紙が送られてきました。

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    ター子ちゃんがお母さんとずっと行方を探していた日本人の父、オランダ軍に連行、抑留されていたお父さんが日本に帰国したことを知ったター子ちゃんは、多分日本大使館に調査依頼をしたと思われますが、判明した住所宛てにすぐに手紙を送りました。

    でも、待ちに待った日本からの手紙は、お父さんからのものではなく、お父さんのお兄さんからのものでした。
    手紙によると、ター子ちゃんのお父さんは帰国後、名古屋の私立大学に勤務していましたが1955年頃に亡くなったとのことでした。
    戦後、それぞれ生活も苦しく、外国との手紙のやり取りも簡単ではない時代です。ましてお互い何とか共通で理解できるのが外国語である英語。その後はター子ちゃんの出した手紙にも返信がなくなり、音信は途絶えてしまいました。
    でも、ずっと、ずっと、ター子ちゃんはお父さんのこと、お父さんの親族のことを知りたかったのです。

    そして、ター子ちゃんは結婚して、生まれた4人の子どもの長男であるプリちゃんのお父さんが成人すると、日本の親族を探してまた交流ができるようにと言いました。
    青年団活動を熱心に行っていたプリちゃんのお父さんは、政府主催の日本との交流事業等にも積極的に参加して、その都度何とか日本で親族探しができないか模索し続けましたが、長年音信の途絶えた一般の人の消息を追うことは簡単ではありませんでした。

    やがて政府機関で勤務するようになって、任務で来日する機会も多くなりました。そんな折り、インドネシア関係者の人に相談したのがきっかけで、上述のK氏、そしてH氏につながる奇跡が起こったのです。
    そして、短い期間ではあるものの名古屋の私立大学に勤務していたという情報から、K氏はmiko-mikuに調査を依頼されたのでした。

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    2000年の夏、miko-mikuがその私立大学事務局に行ってみると、今想えば、当時は情報開示が今ほど厳しくなく、事務局の人は親切に古い書類を調べてくれました。ター子ちゃんが手紙を受け取った伯父さんのお名前の漢字も住所もわかりましたが、それをもとに当地の区役所に行ってお尋ねしたところ、お名前は見つかったのですが、すでに転居していて、これ以上は個人情報でお教えできないとのことでした。miko-mikuのお手伝いは一旦ここで終わりました。

    でも! 灯台もと暗し。
    親族の方の名前は珍しいお名前だったので、K氏の東京のお仲間が機転を利かせて、名古屋とその近郊地区の電話帳でそのお名前を探したところ、ありました! 名前がわずかな数だったので、早速電話してみたところ、なんとター子ちゃんのお父さんの兄の子ども、つまりター子ちゃんの従兄の方が出られ、無事つながることができたのです。

    ター子ちゃんの名古屋の従兄さんは、H氏に手紙を送られ、自分達をこんなにも一所懸命探していたことに感動したと言ってくださいました。当時からデビ夫人はよくテレビに出演していましたが、その度に、叔父さんのインドネシアの奥さんと娘さん(ター子ちゃんとお母さん)はどうしているだろうかと家族で話していたそうです。

    こうして、戦後50数年を経て、日本とインドネシアの家族がつながり、翌2001年、ター子ちゃんが、プリちゃんのお父さん、プリちゃん、プリちゃんのお母さんと一緒に来日され、日本の親族と劇的な対面が果たされました。
    miko-mikuは、来日に合わせて東京から来られたK氏、H氏の随行とター子ちゃん一家の滞在中の通訳のお手伝いをしました。

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    そうして偶然知り合ったプリちゃんファミリーとmiko-mikuが、14年経った今、名古屋でワイワイ一緒にお昼を食べて、そしてプリちゃんは帽子の泉プロジェクトの有坂さんのライブを手伝ってくれる…。
    素晴らしい出会いに感謝しながら、ター子ちゃん、そしてター子ちゃんの日本人のお父さんに思いを馳せる大晦日でした。

    戦争で大切な人と引き裂かれることのない、平和な世界になりますように。

    来年も、障害のある方のためのコミュニケーション支援の活動をがんばります。
    またこのブログでご報告や、日々の暮らし中で出会った素敵な人々をご紹介していきたいと思います。

    来年も「ご一緒しましょ!」をどうぞよろしくお願いいたします。
    皆さま、どうぞ良いお年を^^/。